Tachihara Michizo Memorial Museum
設立趣意

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設立記念プレート

記念プレート     暮 春 嘆 息
     ―立原道造君を憶ふて―

 人が 詩人として生涯ををはるためには
 君のやうに聡明に 清純に
 純潔に生きなければならなかつた
 さうして君のやうに また
 早く死ななければ!
              三好達治



 立原道造(1914.7.30〜1939.3.29)

 東京生まれの詩人、立原道造は、詩集『萱草に寄す』や『暁と夕の詩』に収められた
ソネット(十四行詩)に音楽性を託したことで、近代文学史に名前をとどめています。
また、立原は、建築家でもありました。東京大学在学中、3年連続して「辰野賞」を受
賞し、卒業設計「浅間山麓に位する芸術家コロニイの建築群」を構想して壮大なリゾー
ト計画を示し、「風信子ハウス」に象徴される小住宅設計にも意欲を燃やしました。
 立原の魅力は、多くの文学者や建築家たちによって今日もなお語り継がれてきていま
すが、24歳8か月という夭折の生涯を惜しんだ三好達治は、上記のような追悼詩を寄
せました。私どもは、現代文化に少なからぬ影響を与えた才能と資質とを普遍であると
確信し、立原が旧制一高以来の青春を過ごした向ヶ岡弥生の地に記念館を設立し、新し
い世紀に向けて永続的に顕彰していく所存です。
     (1997年3月29日/立原道造記念館 館長 堀多恵子/理事長 鹿野琢見)



エントランス詩碑

詩碑

  ふるさとの夜に寄す    立原道造詩

 やさしいひとらよ たづねるな!
 ―なにをおまへはして来たかと 私に
 やすみなく 忘れすてねばならない
 そそぎこめ すべてを 夜に……

 いまは 嘆きも 叫びも ささやきも
 暗い碧の闇のなかに
 私のためには 花となれ!
 咲くやうに にほふやうに

 この世の花のあるやうに
 手を濡らした真白い雫の散るやうに―
 忘れよ ひとよ……ただ! しばし!

 とほくあれ 限り知らない悲しみよ にくしみよ……
 ああ帰つて来た 私の横たはるほとりには
 花のみ 白く咲いてあれ! 幼かつた日のやうに


 立原の生涯は、わずか24歳と8か月でしたが、多くの原稿、手製の歌集や詩集、パステル画、
設計図、ノート、書簡などの自筆作品が遺されています。そして、それらの作品からは、独自
の世界を作り上げようとする強靭な精神に支えられた立原の感性と深い思索をうかがうことが
できます。
 立原道造記念館は、立原の58回目の命日に、私立の記念館として開館しました。記念館では、
年4回、3か月毎にテーマを変えて企画展示を開催し、立原の作品世界を通しての対話を皆様と
交わすことによって、新たな視点からの立原像を探求し、より多くの人たちに伝えてゆきたい
と考えています。

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Copyright(C) Tachihara Michizo Kinenkai 1997