Tachihara Michizo Memorial Museum
主な収蔵品 1

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立原道造 自室にて―愛用のランプを手に― 1937年(昭12)

愛用のランプ  立原が一日の中で最も好きな時刻は crepuscule だったという。
 日本橋橘町の実家の三階自室(屋根裏部屋)には、その夕ぐれ
 時にも似た琥珀色の光を放つ洋燈を置き愛用していた。


立原道造 浜町公園にて 1938(昭13)年秋 24歳

浜町公園  このポートレートは、自宅近くの浜町公園で写したものである。
 自分でデザインした暗緑色の洋服は、萌葱色のネクタイなどと
 ともに今も残されている。


第一詩集『萱草に寄す』特装本・楽譜本

『萱草に寄す』  1937年(昭12)5月、風信子叢書刊行所発行、
 私家版[111部限定の寄贈本:特装本11部、楽譜本100部]。
 十四行詩10篇を収める。
 [ ]内の部数は立原の記述によるが、実際の制作数は異なると推定される。

第二詩集『曉と夕の詩』A版・B版

『曉と夕の詩』  1937年(昭12)12月、風信子詩社発行、四季社発売。
 A版2円、B版80銭[A版(特装本)15部、B版(楽譜・異装本)150部]。
 十四行詩10篇を収める。
 [ ]内の部数は刊行案内・広告によるが、実際の制作数は異なると推定される。

詩集『ゆふすげびとの歌』

『ゆふすげびとの歌』  [1937年(昭12)頃]、私家版1部限定の手製本。
 表紙はフランス製木炭紙グレーキャンソン紙、本文紙はクリーム絹目。
 十四行詩5篇を収める。


「秋元邸新築工事設計案2 意匠見取図」

「秋元邸」  1938年(昭13)5月、結婚をひかえた一高先輩の秋元壽惠夫から
 依頼を受け作成した原案の一枚である。横浜市郊外の日吉の高台に、
 自ら設計し唯一実現したその家は、その頃構想していたヒアシンス
 ハウスと同じようなワンルーム構造の小住宅であった。


講演録「タウトノート(仮題)」

「タウト」  1934年(昭9)7月9日から17日まで、東京帝国大学工学部建築学科
 教室で行われた「ブルノー・タウト教授・連続講演[六講](有料)」
 を聴講した時の講演録である。


「辰野賞」

「辰野賞」  東京帝国大学教授で建築家としても著名な辰野金吾(1854-1919)
 を記念して設けられた賞で、建築学科教室におけるその年度の優秀な
 設計・製図に対して銅牌が贈られた。立原は、在学中3年連続して受
 賞している。
「辰野賞」
 昭和10年受賞の銅牌
 銅牌の片面は、建築学科教室のある建物(現在の1号館)、片面は
 「昭和10年 立原道造 東京帝國大學 工學部 建築學科教室」。

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