Tachihara Michizo Memorial Museum
展示のご紹介 2003年1-12月

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●2003.1.3〜3.23 新春企画展
 「立原道造パステル画展6―流山風景を中心として―」


pasu6  立原がパステル画を本格的に描きはじめたのは、府立第三中学校の絵画部時代からで、
 学友会大会に毎年作品を出品しては、高い評価を得ていました。
 現存するパステル画約100点の殆どは、三中時代の13歳から17歳(1927-31年)頃に
 制作されたと推定されます。
 それらの作品は、生家のあった日本橋・静養先の流山(旧新川村)・避暑をした御岳の
 風景画、身近な物を描いた静物画、心象スケッチともいえる抽象画、人物画と、画題は
 多岐にわたっています。

 本展では、静養先の流山(1929年3-7月まで滞在)で描かれた作品を中心として、代表作ともいえる
 「二匹の魚(仮)」等、初公開を含むパステル画30点、詩稿11点、流山滞在中にまとめたと推定される
 「蛙」を主題とした2冊のノート「About Frog」「研究記録」〈新資料初公開〉、歌集『自選葛飾集』、
 「文集ノート」、『學友會誌』、書簡、詩集、ルフランのパステルセット等を併せて展観しますので、
 青春期の多様な作品世界をご鑑賞ください。

●2003.3.29〜6.29 開館6周年記念特別展
 「立原道造と『四季』I 創刊から立原道造追悼号まで」


shiki1  立原は、1931年の秋に堀辰雄の面識を得ました。堀との出会いは、詩人としての歩みをはじ
 めた17歳の立原にとって、新たな世界へと飛翔するための、まさしく〈開かれた窓〉でした。
 その堀が実質的な主催者であった『四季』(第2次 1934.10-1944.6 全81冊)は、昭和初
 期を代表する詩誌の一つといえましょう。
 主な同人には、堀、丸山薫、三好達治をはじめとして、立原、津村信夫、井伏鱒二、桑原武夫、
 神西清、神保光太郎、竹中郁、田中克己、辻野久憲、中原中也、萩原朔太郎、室生犀星などが
 いました。
 立原は、堀の庇護のもと、第2号に「村ぐらし」を発表して、詩壇に登場します。
 その後、立原にとっての『四季』は、作品発表の主要な場となり、新たな文学の創造と研磨の
         場ともなりました。
 しかし、立原は、1939年3月29日、その才能を惜しまれつつ夭折します。
 堀は、『四季』第46号に訃報を書き、第47号を立原の追悼号として企画・編集します。
 本展では、立原の作品掲載号の全てと、関連する草稿、書簡、書籍、遺品等を展観することにより、『四季』を
 中心とした立原の創作活動を描こうと試みます。
 また、立原が、1939年3月29日に24歳8か月で夭折したことを惜しみ、堀が企画・編集した『四季』立原道造
 追悼号第47号1939.5)の復刻本を出版いたします。
 主な出展品には、『四季』の立原作品掲載号の全てと関連する堀の著書、立原が『四季』誌上で言及した作家た
 ちの詩集『抒情小曲集』『花卉』『測量船』『帆・ランプ・鴎』『愛する神の歌』『山羊の歌』『在りし日の歌』
 『詩集西康省』、遺稿として追悼号に発表された「優しき歌」などの関連草稿、書簡等があります。

●2003.7.3〜9.28 開館6周年記念特別展
 「立原道造と『四季』II 堀辰雄没後50年に寄せて」


 立原没後、自らも重い病におかされていた堀辰雄には、持てる時間はそれほど多くはなかったはずですが、
 限られた時を惜しみなく立原に与えました。
 堀は、『四季』第46号に訃報を書き、第47号を立原の追悼号として企画・編集します。
 1940年には、レクイエムともいうべき「ゲエテの『冬のハルツに旅す』」「木の十字架」を執筆し、立原が
 「手づから編んだ詩集」を再現するため、深沢紅子画伯の挿絵を付した『堀辰雄詩集』を出版します。
 1941年には「菜穗子」を、1946年には「雪の上の足跡」を執筆します。更に、『立原道造全集全三巻』
 (1941-43年)、物語集『鮎の歌』(1946年)、『詩集優しき歌』(1947年)を編集し、夭折した詩人
 の才能を惜しむとともに後の世にその作品を残す礎を築きました。
 本展では、立原没後に、堀が『四季』誌上で行った立原顕彰を中心として、堀が編集した山本書店版全集や、
 堀の作品に描かれた立原像などを、関連する草稿、書簡、書籍、遺品等を展観することにより、二人の交游
 の軌跡を辿ろうと試みます。
 主な出展品には、『四季』掲載の立原の遺稿と立原関連記事掲載号23冊、堀が編集した第66号の掲載作品
 および「編集後記」の原稿《初公開》、『堀辰雄詩集』を中心とする堀の立原関連書籍や深沢紅子のスケッチ、
 「菜穂子」の自筆覚書などの関連原稿等があります。

●2003.10.2〜12.24 秋季企画展
 「立原道造・建築家への志向4―新たに発見された設計図を中心として―」


ayu  1939年3月29日、24歳で夭折した詩人立原は、将来を嘱望された建築家でもありました。
 1934年4月、東京帝国大学工学部建築学科へ入学し、卒業までの3年間、辰野賞を連続して
 受賞するなど、岸田日出刀教授のもと「意匠裝飾」にその才を発揮しましました。
 最近、立原の建築家としての修業の側面について、関心が高まってきました。どのような教
 育を受けていたのかを知るためには、課題の提出図面が貴重な手がかりとなります。
 折しも、立原の友人であった故小山正孝氏(詩人1916-2002)の書斎から、立原の提出図
 面が、他の設計図や多数のエスキス、パステル画等と共に発見されました。


 本展では、これらの新資料から主なものを初公開し、併せて、同時期作の多様な作品等を展観することにより、
 詩人立原が志向した建築家像を描こうと試みます。
 主な出展品には、「図書館設計図」等の課題提出図面5種15枚、パステル画2枚(以上初公開)をはじめとして、
 詩稿、建築草稿、書簡、講義ノート、関連書籍等があります。
 また、詩人であった故小山氏を偲ぶコーナーを設け、全詩集(8冊)等を展観します。
 文字と絵で綴る多面的な作品世界を、ご来館の上、ご鑑賞いただければ幸いに存じます。


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