Tachihara Michizo Memorial Museum
展示のご紹介 1998年1-12月

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●1998.1.4〜3.25 新春企画展「立原道造パステル画展1」

パステル画展1 立原道造がパステル画の制作に励んだのは、東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)時代のこととされています。絵画部に所属し、その才筆をふるいました。今日、絵画に示された才能も高く評価されています。
本展は、収蔵しているパステル画を中心に、併せて、主な収蔵品を通して立原道造の生涯を辿る企画の第1回目として開催いたします。

●1998.3.29〜6.28 開館一周年記念特別展「立原道造と生田勉−建築へのメッセージ−」

立原道造と生田勉 立原道造の一高時代からの友人であった生田勉は、立原の後を追うように東大農学部から建築学科へ転科し、後年、建築評論家・建築家として活動を展開します。また、生田は、建築にかかわる立原の姿を語る証人としての発言も数多く伝えています。
本展は、生田を紹介することにより、立原が残した建築への試みを描こうとするものです。

●1998.7.2〜9.27 夏季企画展「立原道造の“SOMMER HAUS”−浅間山麓で育まれた作品世界−」

SOMMER HAUS 立原道造は、1934年初めて軽井沢を訪れ、堀辰雄の友人阿比留信(本名豊田泉太郎)に軽井沢を案内されます。そして、信濃追分でひと夏を過ごしました。それから毎夏続いた浅間山麓での〈村ぐらし〉は、多くの詩や建築作品を生み出す源となりました。
立原が遺した建築スケッチのなかに「SOMMER HAUS(独語で夏の家)」と題された、堀辰雄から依頼された別荘の計画案と推定される図面があります。また、「豊田氏山荘」として計画された図面(全10枚)があります。本展では、これらの図面類と、手製詩集「ゆふすげびとの歌」を中心として、浅間山麓で育まれた作品世界を展観します。

●1998.10.1〜12.25 秋季企画展「憩ひ−昔僕が夢を美しいと信じた頃…」

憩ひ 1935年(昭和10)、立原道造21歳の夏。
立原は、7月初旬から9月末まで信濃追分の油屋に滞在し、ふたたび〈村ぐらし〉を体験します。そして、初めて浅間山の爆発に立ち会い、「エリザベート」と名付けた少女たちや画家の深沢紅子と出会いました。
立原は、滞在中2回上京しますが、その往復に、婚約者の看病を兼ねて富士見高原療養所に入所していた堀辰雄を、泊まりがけで3回訪ねています。また、上林温泉に三好達治を、松原湖に深沢紅子を、名古屋に生田勉を訪ねています。
9月になり高原が秋の装いを見せると、立原は「ひろい風と光の万物の世界」のなかで、「夢よりも美しいものが今僕をとりかこんでゐる」と謳います。
本展では、〈やすらひ〉をキーワードに、ソネット「風に寄せて」、「はじめてのものに」、連作詩「夏の旅」、長篇詩「生涯の歌」、大学の課題設計「サナトリウム」、友人たちに宛てた書簡などを通して、1935年夏から秋にかけて制作された立原の作品世界を紹介します。


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Copyright(C) Tachihara Michizo Kinenkai 1998